研究課題/領域番号 |
15K13614
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研究機関 | 東北大学 |
研究代表者 |
河野 裕彦 東北大学, 理学(系)研究科(研究院), 教授 (70178226)
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研究分担者 |
木野 康志 東北大学, 理学(系)研究科(研究院), 准教授 (00272005)
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研究期間 (年度) |
2015-04-01 – 2017-03-31
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キーワード | DNA鎖切断 / トリチウム壊変 / 電子移動 / 分子分割エネルギー / DFTB法 |
研究実績の概要 |
DNA鎖切断の基本機構を探るために,まず,マトリックス支援レーザー脱離イオン化(MALDI)法による1本鎖DNAの断片化実験の理論的再現を目指した。実験結果は,塩基がMALDI法によりプロトン化されて脱離した後に,糖とリン酸基との間のC-O結合が切れる過程を示唆していた。我々は,高い熱エネルギーを得て蒸発し,部分的にプロトン化された4アデニン塩基の1本鎖DNAの断片化過程に高速で電子状態計算が可能な密度汎関数強束縛(DFTB)法に基づいた反応動力学計算法(DFTB/MD)を適用した。与えた熱エネルギーは鎖切断が数100 ps内で起こるように実験よりは高い1000 K程度とした。分子の全エネルギーを各原子の成分和として表す原子分割エネルギー解析法を適用し,切断に至るまでの各ヌクレオチドの塩基,糖,リン酸基のエネルギーと電荷を解析した。 計算においても,実験結果どおり,鎖切断としてはCO切断が起こっていた。反応経路として,アデニンの脱離の有無にかかわらず,リン酸基が電子を一度外部に渡し,その後受け取る際に,リン酸基が糖や他のヌクレオチドからエネルギーも受け取り鎖切断が起こっていた。真空中の2本鎖DNAでもCO切断が起こり,切断部の近傍だけでなくもう一方の鎖も含めた広域のエネルギー・電子移動を経ていた。真空におけるDNA鎖切断がリン酸基と外部のエネルギー・電子の授受によって駆動されることがわかった。 水やカウンターカチオンに囲まれたDNAの場合には,COではなくリン酸基のPO結合が切れることを見出した。カチオンが水和を脱してリン酸基と中間体を形成し,P-O切断の反応障壁を下げるからである。カチオンの存在により電子移動は抑制され、隣接するヌクレオチドからリン酸基への局所的なエネルギー流入が起こっていた。以上,トリチウム壊変過程を含んだ鎖切断シミュレーションの準備が整っている。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
以下の3点から進捗状況を評価した。 (1)DFTB/MDがDNAの鎖切断過程を追跡する上で有効な方法であることがわかった。生体分子に適したDFTB3法では他のDFTB法と同様に分子間力をLennard-Jonesポテンシャルで表しているが,エネルギーの精度に関しては,密度汎関数法のM06/SVPなどの高精度計算の結果と比較したところ,0.1 eV以下の差で良い一致を見た。高速計算が可能なDFTB3法のエネルギーが十分な計算精度を有していることから,計算結果の信頼性は揺るぎないものになっている(実際に鎖切断に要する時間を厳密に評価することは本研究の目的ではない)。数十塩基対を有するDNAの鎖切断シミュレーションの準備が整った。 (2)真空におけるDNA鎖切断がリン酸基と外部のエネルギー・電子の授受によって駆動されることを明らかにした。一方,生体内のように水分子やカウンターカチオンが存在する場合は,カチオンの存在により電子移動は抑制され、隣接するヌクレオチドからリン酸基への局所的なエネルギー流入によって,鎖切断が起こっていた。鎖切断の基本的な機構を明らかにすることができた。 (3)トリチウムのβ壊変後生成するHeカチオンを含むDNA分子の電子状態のエネルギーを同じ電子波動関数を持ちながらもトリチウムの核電荷が+2になった系の励起電子状態のエネルギーとして計算できるようになった。このトリチウム壊変で得られる電子エネルギーに,Heカチオンの反跳エネルギーと合わせて,トリチウム壊変がそれを含むDNA分子にどの程度のエネルギーを与えるか半定量的な議論ができるようになった。 (1)と(2)はH27年度の研究計画の根幹部分であり,(3)はH28年度の研究計画を実行に移すために不可欠な準備過程である。
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今後の研究の推進方策 |
トリチウムがβ壊変した直後,DNA中の電子は速やかに再配置して を含む断熱ポテンシャルを形成するが、41 eV程度の余剰エネルギーをもつ電子励起状態になる。トリチウム壊変がDNAのダイナミクスに及ぼす効果を評価するために,この励起状態ダイナミクスを追跡する必要がある。これには,Zhuらが開発したポテンシャル面とその傾きだけで非断熱遷移を記述する高速非断熱遷移計算法にTD-DFTB法を組み込んだ方法を適用する(共同研究者らとプログラムを作成中)。チミンが2つ並んでいるとき,紫外線を受けるとチミン同士が共有結合を形成し,二量体ができる。上記の高速非断熱遷移計算法を使って,紫外光によるチミンの二量体化や光によるDNAの鎖切断のシミュレーションを行う。その有効性を検証しながら,トリチウム含有DNAのβ壊変後の励起状態ダイナミクスを調べ,水素結合や鎖切断に及ぼす影響を調べていく。トリチウムがβ壊変後Heとして脱離すると,DNAはラジカル(あるいはビラジカル)となる。その後の様々な励起状態ポテンシャルを経由して起こると考えられる鎖切断過程を追跡する。 H27年度はDNAの周りのNa+が鎖切断をどのように引き起こすかを調べたが,本年度は,生体内の主要なカチオンであるK+の影響を調べ,DNA周りの媒質中の様々なカチオンの影響について比較検討する。 生体の細胞内では,DNAはタンパク質ヒストンの多量体に巻きついて巻いていた単位構造が連なったタンパク質との複合体(クロマチン)として存在している。タンパク質がDNA内の電子やエネルギーの移動にどのような影響を及ぼしているかを知ることは,実際のトリチウム壊変のDNAへの影響を評価する上で不可欠である。まず,分子力場で記述したヒストン表面に短鎖DNAを接触させた複合モデルに対して,トリチウム壊変後のDNAのダイナミクスについて研究を進める。
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次年度使用額が生じた理由 |
H27年度は,DNAの鎖切断の基本機構を解明するため,短鎖の一本鎖DNA,二本鎖DNAを対象に動力学計算を行った。その結果,鎖切断の基本的な機構を分類し整理していくことが出来たので,さらに,主にH28年度に予定していた,カチオン,水分子を周囲に溶媒として配置した系での計算まで行い,鎖切断機構の分類を先に進めた。当初予定していた数十塩基対をもつDNAの計算は大型計算機を使い,その計算を研究補助者として大学院生を雇用して,進める予定であった。そのため,それに使用する予定であった45万円やそのほかのソフトウエア費用分が次年度使用額として残ることになった。
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次年度使用額の使用計画 |
本年度は,数十塩基対をもつDNAの反応動力学計算も重点的に行う。そのため,H27年度からの繰越金を電子状態計算と分子動力学計算の専門知識を有した研究支援者の雇用に充てる。雇用した研究支援者には6ヶ月間週4日で1日6時間の勤務態勢で,反応動力学計算や大学院生の研究指導に従事してもらう。この間,DNAに溶媒まで含んだ大規模系の動力学計算を効率よく進めるために,動力学計算に用いる電子状態計算法(密度汎関数強束縛法)の並列化にも取り組んでもらう。
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