①明治中・高期に成立した日本の大学運動部は、1920年代以降にリーグ戦や大会が組織化され、大規模化していった。戦後はさらに競技数や大会規模・参加校数が拡大し、それに伴い競技レベルも上昇していった。そうしたなかでも試合に勝利するために運動部は、厳しい練習の日常化、実力にもとづいた厳しい選手間の競争、監督・上級生を中心とした上意下達の組織編制、体罰を用いた指導等の特徴を備えるようになっていった。 ②戦後のベビーブームや高度経済成長、大学進学率の上昇を背景として、高度成長期に日本の大学は学生数を大幅に増加させた。1960年代までは、スポーツをしたい多くの学生は運動部に入部していたが、そこは実力主義に基づく優勝劣敗の世界で、部員の大半はまともに試合や練習に参加もできず、指導者や先輩からの体罰も常態化していた。そうした運動部の状況のなかで、勝利を主目的とせず、一般学生が気軽にスポーツに参加することを目的に組織されたのがスポーツサークルであった。スポーツサークルの誕生は1920年代であったが、高度成長期に種目数や団体数・会員数を急激に増加させていった。 ③スポーツサークルの団体数・会員数が増加したことで、1970年代には運動部員数がピーク時から約40%減少したり、競技力を大きく落とすこともあった。部員数減少への対策として、体罰のない指導、上意下達の緩和、部長・上級生による新入生のサポートなど自主的な運動部改革を行う部もあった。 ④1960年代のスポーツサークルは数が少なかったために数百人もの会員を抱えるなど、大規模であった。しかし、次第に同一種目の別の団体が創設されていき、1団体当たりの会員数は減少した。団体数の増加に伴い競技レベル、活動日数、単一種目/複数種目、単一大学/インカレなどの様々な特徴によって、同一種目でも多様な会員構成・活動方針をもつサークルが組織化された。
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