本研究は、上座部註釈文献を考察の対象として、アビダルマ文献の正統性を巡る議論(仏説論)を検討し、具体的には以下の点を明らかにした。 1)まず、ブッダゴーサ著『法集論註』、アーナンダ著『法集論復註』、ダンマパーラ著『法集論復々註』の三書を材料にして、そこに説かれるアビダルマ仏説論の全体像を提示した。上座部では、アビアルマ文献が確かに仏陀によって悟られ説示された点を証明するために、複雑な経典解釈や、三蔵には見られない新伝承を持ち出してその正統性を確保しようと努めている。このような態度は、説一切有部におけるアビダルマ仏説論とは全く異なっている。 2)さらに、この上座部におけるアビダルマ仏説論の議論から、今まで未知の典籍であった『大法心』と『大界論』について、それら二書が上座部アビダルマ文献の「外典」的性格を帯びたものであることを明らかにした。加えて、この議論から、アビダルマ文献の一つ『分別論』が現行の形に纏まるまでの成立過程の仮説を提示した。 3)また、仏説論一般・聖典成立史という広い視野からも考察をすすめ、(A)経蔵に収載される「声聞の所説」や、仏滅後の出来事を収めた経論を巡る仏説論について、(B)仏説として容認された経論が、三蔵五部として纏められていく過程について、(C)註釈家ダンマパーラの仏説観、ならびに彼に帰される著作の真作問題と成立順序についても一定の成果を挙げることが出来た。 以上の諸成果より、当初の研究目的は大凡達成できたものと考えられる。さらに副次的な成果として、上座部における三蔵の形成と受容のあり方や、これまで全く未知であった註釈家個人の思想性にまで踏み込むことが出来た。
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