アマルティア・センによれば、われわれは純粋な「ただの私」だけでなく、自らの置かれた社会的文脈次第で自分自身を多様に理解し、多様なアイデンティティを持ちうる。われわれの選択的な振る舞いが純粋に自己のみによって規定されるのではなく、大いに他者の影響を受けるものだと考えるセンは、「理性的精査としての合理性」として合理性を規定している。この合理性には、自己中心的な自己利益を必須とする経済学の理解において排除されていた要素、すなわち他者に関連する目標や価値についての理性にもとづく精査が含まれる。センは、経済学における合理性の理解を、自己中心性だけでなく他者中心性にもとづくものにまで拡張した。 このような「理性的精査としての合理性」にあたる概念をダライ・ラマ14世の経済思想のうちに探り、それがチベット語の「ナムヂュー」(rnam dpyod)に相当することを明らかにした。本研究ではナムヂューを、『大乗阿毘達磨集論』等の仏典において「分析・精査」を意味することを踏まえて「理性的精査」と和訳した。ダライ・ラマにおいて、理性的精査に基づく合理的な選択は、自己利益を否定するどころか、自己利益を肯定し、それを達成するためにあるべきだとされる。とはいえ、ここでいう自己利益は、自己中心的な狭義のものではなく、他者利益の追求を通して実現される自己利益であり、彼はこれをwise self-interestと呼ぶ。 以上のように、センとダライ・ラマにおける合理性の概念を比較し、両者の交差点を明確にすることによって、西洋経済学と仏教経済学を従来考えられていたような「利己対利他」という対立構造では捉えられないことを明らかにした。本研究成果は、利己的側面を軽視しがちな仏教経済学における選択の合理性理解に一石を投じると同時に、西洋経済学との接点を見出しその成果を取り入れて仏教経済学を展開する可能性を開くものである。
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