平成三十年度は本研究計画の最終年度(四年目)にあたる。ジャンセニスム論争における「恭しい沈黙」の観念の生成と受容を辿った過去三年間の研究を総括する作業が大半を占めた。具体的には、まず平成二十九年度に課題として残された、十八世紀初頭に見られた「恭しい沈黙」への批判の高まりという問題に改めて注目し、その傾向を代表する理論家フェヌロンの不可謬性論の内実を明らかにした。その議論はキエティスム論争から引き継がれたもので、思想的にもきわめて大きな独自性を有しているが、それは同時に、「恭しい沈黙」を排してジャンセニスムを断罪する理論的限界を示すものでもあった。以上の作業と並行して、本研究を総括する学術書の準備を進め、草稿の執筆を終えた。その過程で新たな文献調査の必要が生じたため、夏季に渡仏し、フランス国立図書館にて、主に十七世紀の司教たちが発表した教書について調査を行った。 研究期間全体を通じて、「恭しい沈黙」というジャンセニスム論争特有の観念の生成・受容・意義について考察を行い、それを通して、この両義的な服従態度に対する賛否の表明から良心の自由や寛容の価値が生まれ出る経緯を明らかにした。とりわけ重要と思われるのは、自らが所属するローマ・カトリック教会の正統性を信じて疑わなかった「ジャンセニスト」に信教の自由をめぐる主張が見られない一方で、異端宣告への理論的抵抗運動を通して彼らが求めた良心の自由は、あえて信仰を射程から外すことによって逆に普遍的な契機を内包する結果となっていたこと、そして、その主張が「信じる」という認識のあり方を原理的に掘り下げようとした同時代の神学者たちの知的な営みの歴史と交差していたということである。
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