本研究の目的は、「日本人」の蝦夷地に対するイメージが、いかに形成され、また変容してきたかを、アイヌ民族を描いた絵を通して、考察し、明らかにすることである。対象資料の調査をすすめるうち、考察の対象とすべきものは特に、人物の描かれ方であると考えるにいたったため、初年度から、人物の描かれ方、特にその体勢や衣装を中心に、考察を行った。 なかでも、本研究の成果は、北海道史の研究者によってたびたび取りざたされる蠣崎波響《夷酋列像》(1790年)に描かれた蝦夷の酋長たちの姿を検討することで、これまでに明らかにされることのなかった、作品の意義を見出し、蝦夷地イメージの形成を考えるうえで、これまでに指摘されることのなかった側面に光を当てるにいたったことである。本作は制作の翌年に、京都で多数の人士の目に触れ、光格天皇の天覧に供されたうえ、後年に諸大名たちに貸し出され、多数の模写が制作されたもので、蝦夷地イメージの形成と変容を考えるうえで、極めて重要と考えられるものである。本研究では、次のことを明らかにした。第一に、《夷酋列像》の全体構造は、中世の日月屏風や古代以来の功臣図壁画に倣うもので、この絵は君主の荘厳の意味を強く有するものである。加えて、各人物には、日本神話や中国の神仙、伝説や物語の登場人物など、歴史上・伝説上の、さまざまな人物の姿や要素が、内包される。それによって、人物達は、君主の不老長寿を願う役目と、京都や江戸の東北/鬼門の「僻邪」の役目を負う。 このことを詳細に検討するために、アイヌ民族を描いた絵の調査と並行して、日本神話や御伽草紙、中国の仙人伝や小説を描いた版本や絵巻などの調査を並行し、描かれる人物の比較を行った。この成果は、論文にまとめ、学会誌に投稿した。
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