本研究は、中国において仏教的護法神がいかなる信仰を受け、その中で護法神の図像や造形化の行為がどのように変遷してきたかを史的に跡付けることを目指すものである。南北朝時代後期から隋唐時代にかけて、多様な護法神像が造り出され、仏教世界を彩ってきたが、その意味や同時代および後世における中国仏教・美術に果たした役割については、これまで深い追及がされてこなかった。そのため、個別の護法神に関する信仰の具体相を明らかにしつつ、多種類の護法神を総体的に捉える視座を重視した。 研究の地盤となるのは、実地調査によって獲得した作品情報である。本年度は、台北・国立故宮博物院が所蔵する張勝温筆「大理国梵像図巻」(北宋時代)等の絵画作品の調査を行った。「梵像図巻」に描かれた羅漢像は、高僧と護法神との関係という本研究における糸口と関連する。さらに、護法神の造形活動が具体的に記録された文字史料も精査し、論文「高僧と護法神―僧伝史料に伝えられた護法神像の造立」をまとめた。中国には段階的に仏典が伝入し、それとともに護法神に関する情報も漸次、未整理の状態で入ってきた。こうした文字上の存在にとどまっていた護法神が、具体的な形を伴い像として新たに生み出される場には、西域・インドと中国との間を往還した高僧が介在しており、中国における護法神像の造形化の端緒を伝える説話を整理した。 また、このようにして誕生した護法神像の中には、盛んな信仰を受けたものの次第に忘れられていった護法神が多く存在したと想定される。その一つに迦毘羅神があり、『月蔵経』の経説によれば中国の擁護者としての役割が強調される護法神である。代表的作例である河南省安陽市の宝山霊泉寺大住聖窟の迦毘羅神像を中心に、その信仰の推移を論文「迦毘羅神考―霊泉寺大住聖窟における造像を中心に」(『アジア仏教美術論集 東アジアⅡ(隋・唐)』、2018年刊行予定)にまとめた。
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