本研究は、大正から昭和にかけて数多く中国書画が日本に将来された背景を、「京都学派」の漢学者にして書画鑑定に秀でた長尾雨山(1864~1942)の業績を再検証することにより明らかにするものである。具体的には、書簡や詩文稿、書画作品など雨山に関する一次資料の整理と調査を本研究の達成目標とし、断片的な紹介にとどまっていた雨山の業績と思想を総合的に理解するための基礎的研究とすることを目指した。 本平成29年度は本研究の3ヵ年計画のうちの最終年度にあたる。平成27年度および同28年度から継続して、平成29年度では長尾雨山関係資料の目録刊行に向けた整理作業に注力した。その結果、詩文草稿については雨山が明治36年(1903)から大正3年(1914)の約11年にわたる上海居住期をのぞく前後の期間、すなわち若年期と晩年期のものが充実していることがわかった。内容としては、中国書画鑑定にかかわるもののほかに、自作の詩文、著名人士の略伝なども数多く含まれていた。雨山は高松藩の儒学者の家系にあることを自覚して、儒学を基盤とする漢学の修養が終生変わらず自らの詩文の創作や漢文の執筆に貫かれていることが確認できた。 本研究の成果は、平成30年3月に報告書『長尾雨山の中国書画受容に関する基礎的研究』として刊行した。同書には「長尾雨山関係資料目録」を収録し、5000項目を超えるリストとして公開した。このリストは、今後の長尾雨山研究において基礎資料の概要を理解するための手がかりとなることが期待されよう。
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