戦時下の日本人映画人は、日本内地にとどまらず、植民地朝鮮や占領地満州などの外地に赴き、越境的な映画活動を広めていった。ところで、こうした「越境する映画人」は日本人のみだったわけではない。朝鮮の映画人たちの多くが満州の映画業界で活動し、満州の映画文化や映画スターもまた朝鮮で受容されていた。 そこで本研究では、満州映画協会の朝鮮人社員・李台雨(イテウ)と朝鮮人観客に朝鮮人女優として想像されていた李香蘭の事例を中心に、外地と外地との間における越境的な映画活動の実態を解明した。また、彼らの活動が大東亜映画ネットワークの形成にいかなる役割を果たしたかについても実証的な分析を試みた。
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