本年度の主な研究成果は、サルデーニャ語におけるクリティックの重複について、語順の通時的変化と相関が見られることを指摘したことである。中世ロマンス諸語の語順は動詞第 2 位置 (V2) が基本であったが、VSO 及び VOS も無標な語順として観察される。現代ロマンス諸語では SVO になったが、現代スペイン語と現代ルーマニア語では、VSO も情報構造において中立的な語順として許容される。この 2 つの言語では、古語と現代語いずれにおいてもクリティックの重複が観察される。言い換えれば、中世以降のロマンス諸語の歴史において、クリティックの重複が観察される言語では、情報構造における中立的な語順として VSO (VOS) が許容され、フランス語、イタリア語のようにクリティックの重複が許容されない言語では VSO も許容されないという相関が見られる。サルデーニャ語もこの相関にしたがい、現代語ではクリティックの重複が失われたと同時に、中立的な語順としての VSO は許容されない。 以上の考察から、クリティックの重複は、語順の制約が比較的緩い言語において、その名詞(句)が主語ではなく目的語であることを明示する一致の標識として機能しているといえる。この見方は、クリティックの重複は、トピック性や定性、有生性などによって特徴づけられる、主語に近い性質を持つ目的語に生じるという事実からも支持される。 研究期間全体を通して、サルデーニャ語のクリティックの重複と前置詞付き直接目的語が、目的語の意味特徴、語順、そして情報構造とどのような相関があるかを考察してきた。ただし、この2つの文法現象にどのような相関があるのかを明らかにするまでには至らなかった。生成文法の視点や類型論の視点も織り交ぜつつ、この問題をロマンス諸語全体の枠組みから解明することが今後の課題である。
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