本研究の目的は、1950年代半ばまでの時期に、米国の市民・組織から広島に寄せられた救援物資や復興援助が、広島の復興理念に与えた影響を明らかにすることである。1940年代後半、広島県出身者を中心とする在米日本人から広島市・県に対して救援物資が寄せられた。広島市・県当局はこれをきっかけに、在米日本人のみならず米国社会一般にも援助を求めて積極的に働きかけ、その際に「平和都市」としての復興をめざしていることを強調していた。このような援助の呼びかけは、貿易振興や観光客誘致に代表される経済復興の試みと一体となっており、「平和都市ヒロシマ」という語りはその中で活用され、強化されていったことが明らかになった。
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