本研究は、古代の倉庫と支配との関連を追究することで、古代国家支配構造の特質を解明することを目指したものである。特に、天皇(王権)、官人(倉の監臨官)、民衆という、それぞれの立場における倉庫との関わり方を検討することで、歴史史料に基づいた古代倉庫の本質と、倉庫という“場”で形成される国家支配構造の特徴を復元することに努めた。本研究で明らかにしえたことは、以下の通りである。 まず第一に、国家における倉庫の意義である。古代日本では、七世紀後半から八世紀のいわゆる律令制導入期以前の段階から、中国・古代朝鮮から倉庫の出納技術等を学んだ。しかし、その体制は大宝律令の制定によって大きく変化した。本研究では、倉庫を表す用字の問題から、八世紀に至り倉庫管理の基準が内容物に即した厳密な管理へと変化したことを指摘した。 第二に、倉庫を管理する官人(監臨官)と倉庫との関係についてである。官人による倉庫の出納管理は第一点目と同じく倉庫令等に規定される。本研究では、監臨官の出納管理に不備があり欠を来した場合や彼らが不正行為を働いた場合についての律の罰則規定から、倉庫と官人との関わり方について検討を加えた。そして、日本における監臨官の罰則規定は、官人職務に対する罰則として機能したものではなく、倉庫の官物償填に重点を置いたものであったと結論づけた。 第三に、地方行政と民衆支配について、倉庫の場における支配―被支配関係のあり方として、出挙などの徴税に関する帳簿と木簡との使い分け等の方法が、中国・古代朝鮮におけるあり方と密接な繋がりを持つことを明らかにし、八世紀以降の日本における徴税方法の特徴について論じた。 最終年度にあたり、三年間の研究を総括しつつ、古代倉庫に関わる史料の検討だけではなく、律令制、財政制度や国郡地方行政のあり方にまで考察を深め、古代の国家支配についての知見をまとめた。
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