本研究は、植民地期朝鮮の地域社会を公害や「開発主義」の視点から検討するものである。そのために、朝鮮窒素肥料株式会社の関連施設が立地した興南をはじめとして、「工業化」政策の対象地域となった朝鮮の地域社会について検討を深めていった。また、企業としては日本窒素肥料株式会社の活動を、朝鮮にとどまらず、日本帝国という規模で検討を進めることができた。 まず、朝鮮の地域社会の史料を幅広く収集し、分析することができた。日本国内外の大学図書館や韓国・国家記録院などで、地域の支配構造や産業構造を示す資料などを中心に入手し、これに基づいて工場が立地した地域社会像を復元することができた。また、日本の公害の事例についても現地でのフィールドワークや史料収集などを進め、植民地公害史との架橋の方法を探ることができた。 公害の問題をめぐっては、韓国の研究者との研究交流を深めることができた。韓国では最近植民地期の公害史や環境史の論文が相次いで発表されたが、これらを発表した研究者と直接会い、情報交換することができた。また、ソウル市立大学国史学科の都市研究・地域研究者とたびたび意見交換ができたことは大きな成果であった。 また、『植民地期朝鮮の地域変容』(吉川弘文館)や編著『歴史を学ぶ人々のために』(岩波書店)をはじめとした書籍・論文によって、本研究課題と関連を密接に有する問題について記述することができた。平成29年9月には韓国・高麗大学校で、『植民地期朝鮮の地域変容』の書評会が開催された。研究代表者は拙著の内容をベースに、公害問題も含めた発表をおこない、二名の評者からコメントをもらうことができた。さらに、会場全体で議論がなされ、貴重な助言を得ることができた。 さらに、平成29年度には国立市公民館や明治大学をはじめ、市民講座において植民地公害史について講演することができた。
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