2018年度は最終年度として、これまでに行ってきた文書・資料の収集および補修を踏まえて、国会議事録との照合に取り組んだ。ただし、資料の量が多いため、楢崎が初めて衆議院予算委員会の委員に就任した1968年の第58回国会に注目して、楢崎のノートと国会議事録を比較・分析した。 楢崎が、予算委員会委員として初めて取り組んだのが、佐藤栄作首相の提唱した非核三原則についての質問であった。当時、社会党は党として非核三原則への態度を明確にしていなかったが、今回の調査により、楢崎が独自に調査を行い、非核三原則についての質問を組み立てていたことが明らかとなった。また、楢崎のノートと国会議事録を突合する形で検証したところ、いくつかの点で楢崎が計画通りには国会質問を進められなかったこと、また、楢崎が計画はしていたが、実際には言及しなかったことなども把握できた。 これらの点を、2018年度の日本政治学会研究大会で、「日本社会党による国会質問の一側面──楢崎弥之助による「非核三原則」への追及を中心として」というタイトルで報告した。本報告では、まず、社会党に関する先行研究では、社会党が政府・自民党に対して行ってきた国会質問についてはあまり注目されてこなかったことを指摘した。続いて、楢崎が考えていた非核三原則についての追及計画の概要を示した。その後、楢崎が、追及計画に基づいて、「ゼントルマンズ・アグリーメント」、核兵器研究開発計画、核兵器搭載艦の無害通航権の3つの視角から政府を追及していたことを示した。また、計画はしていたが実際には言及しなかったこととして、楢崎が核弾頭の有無は事前協議の対象にはなり得ないと認識していたこと、さらに、楢崎が佐藤の提唱する非核三原則に実効性がないと捉えていたことなどを示した。なお、この報告は、雑誌に論文として発表した。
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