研究課題最終年である平成29年度は、「研究実施計画」の予定通り、同27年、28年に収集した史料を基に、研究成果報告書をかねた論文作成を中心に作業を行った。その成果が、「地域メディア『北桑時報』と井川市太郎の言論活動」(『恵泉女学園大学紀要』第30号、2018年)である。この論文において、本研究課題の分析対象であった井川市太郎の履歴、彼が『太陽』『日出新聞』に投稿した論説、そして京都府北桑田郡で大正8年(1919)1月より刊行された地域メディア『北桑時報』に寄稿した論説・文芸創作計129点、旧丹波国地域内で大正11年(1922)1月から昭和5年(1930)にかけて刊行された『丹波青年』に寄稿した論説計12点を示すと共に、『北桑時報』に寄稿された論説・文芸創作を基に、井川が自らの言論活動の場を『太陽』『日出新聞』といった大メディアから地域メディアへと移していったことの意味について検討を行った。この論文の発表により、本研究課題は当初の計画通りの成果を出すことができたものと考える。 ところで、本研究課題は上記研究の遂行と共に、『北桑時報』の残存状況についての確認も目的とするものであった。『北桑時報』戦前期刊行分(1~265号。ただし275号終刊という説もあり)のうち、2018年3月現在までに北桑時報協会でのみ残存が確認できるものが1~20、33~38、43~57、61、64~66、98、107、109、119、136、140、146、148、150、151、154、158、185、210、212、242、248、260号。いずれの機関でも残存が確認できていないのが21~32、40、76、79、85、232号。上記以外の号については京都府立京都学・歴彩館においてマイクロ資料で閲覧可能である。残存が確認できていない号が今後発見されることを期待し、その情報をここに記すこととする。
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