インド西部の都市・農村の関係を考察するにあたり、初年度および次年度はインド西部の農村の社会経済構造とともにボンベイ市の都市形成を概観してきた。最終年度は過去2年間に収集した、ボンベイ市内の港毎の貿易統計、インド西部ボンベイ管区の鉄道交易統計、インド西部の沿岸交易統計を用いて、ボンベイ市と内陸地域およびその中心たる内陸都市・町を結ぶ交易の在り方とネットワーク形成を分析し、それを地理情報システム(GIS)を用いて図示した。その結果、下記の変化が明らかになった。 19世紀後半に開通した2本の鉄道(大インド半島鉄道およびボンベイ・バローダ中央インド鉄道)は、前者については内陸デカンの綿花生産地帯(中心都市:ナーグプル)とアヘン生産地帯(マルワ地方)を植民地港市ボンベイと接続するために、後者については沿岸部グジャラートの綿花生産地帯と都市ボンベイを接続するために設置されていた。すなわち国際港と生産地を直接、接続することが目的となり、ボンベイ市も綿花・アヘンを効率的に貯蔵、輸出・移出するために鉄道に沿って港湾設備が整備され、都市形成がなされていたことが古地図の比較、Town Planningの分析、ボンベイ市内の港毎の貿易統計の分析から明らかになった。 内陸と港湾都市との交易ネットワークに目を向けると、綿花・アヘンの交易を軸に生産地とボンベイ港の交易量・額が1860年代のコットン・ブーム、その後の1870・80年代も増加し始める。注目すべきは、1890年代に、生産地とボンベイ市の間にあったデカン西部の諸都市(プネー市やショーラプル市など)の交易量・額が増えてきたことである。これらの都市は18世紀のマラーター同盟期に栄えた都市であり、1818年の同盟滅亡、1853年の鉄道敷設で衰退したが、19世紀松に再び興隆したことが本研究で明らかとなり、インドの都市の長期変動の一端を示すことができた。
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