研究課題
本研究の目的は、近代細菌学の確立に伴い社会の衛生観念がいかなる変容を遂げたのか、その具体的な経緯を解明することにある。当該年度ではその端緒として、1911年に開催されたドレスデン国際衛生博覧会に着目し、そこで民衆世界において衛生意識を向上させるために採用された啓蒙戦略の輪郭を把握することにした。この博覧会に特に着目した理由は、これが当時のヨーロッパ社会において、万国博覧会に次ぐ規模の成功を収めた初めての特別博覧会であったこと、またそれゆえにその後の衛生啓蒙運動の模範となり、20世紀前半までドイツを衛生運動の先進地域たらしめたこと、などが挙げられる。この研究の成果として、以下の諸点が明らかとなった。すなわち、1.啓蒙・教育を目的としたこの種の特別博覧会にあっても、基本的に商品の販促を目的とした万国博覧会のノウハウを踏襲していたこと、具体的には視覚に訴えかける諸装置の仕掛けによって病気現象のスペクタクル化が図られていたこと、2.それゆえ当該衛生博覧会の成功は、啓蒙・教育の観点からは必ずしもその目的の達成を意味してはいなかったこと、むしろ会場に押し掛けた観衆を魅了していたのは一種のセンセーショナリズムだったこと、3.まさにこうした事情から、博覧会閉幕後もドイツ社会では衛生観念の向上が見られず、それゆえたとえば第一次大戦中に性病の蔓延も懸念されるという事態が説明可能となること、などである。以上から、博覧会というイベント方式の興行的成功が、短期的には民衆レベルでの衛生意識の涵養をかえって阻害していた側面すら持っていたことが解明できたと思われる。ただし、衛生問題が社会的に知られる一つの大きなきっかけとなったことは否定しがたく、ここからさらにドイツ社会に衛生観念がどう育まれていったのか、という点を考察することが今後の課題となる。
2: おおむね順調に進展している
当初の研究計画どおり、昨年度中にドレスデン国際衛生博覧会に焦点を絞った実証研究の成果を公表することができた。その際、当該イベントに関連する史料として、ベルリンの連邦文書館や州立図書館に所蔵されてある公式カタログ、ガイドブック、企画書、展示品の貸借証明、領収書等々を考察に使用したが、いずれも本研究課題の申請において調査を計画していた史料群である。
本研究の今後の推進方策については、昨年同様、本研究課題の申請内容に沿った形で研究を継続していくことになる。すなわち、引き続きドレスデン国際衛生博覧会に照準を合わせ、今後は細菌学説の展開という文脈から捉え直すとともに、ヴァイマル期(1919-1933)に開催された二つの国際衛生博覧会(ゲゾライと第二回ドレスデン国際衛生博覧会)を中心に据えて、この細菌学的思考の流通と消費の位相を考察する。
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歴史人類
巻: 44 ページ: 81-105
Lars Klein, Martin Tamcke (eds.), Imagining Europe: Memory, Visions, and Counter-Narratives, Goettingen
巻: 1 ページ: 25-43