本年度は、前年度までに劉荘遺跡を中心として復元した下七垣文化社会について、二里頭文化との比較を通して同時代における相対的位置付けを明らかにした。また、この作業を行うにあたり、昨年度の調査で明確になった下七垣文化と二里頭文化の併行関係に関する問題を明らかにするため、放射性炭素年代測定を行うための土器付着炭化物のサンプリングを行った。対象遺跡は、下七垣文化中期から後期に属するショウ鄧遺跡である。これについては現在分析中であるが、分析結果が出てきたのち、速やかに両文化の併行関係を検討し、社会構造の比較に係る基礎情報を補強しなければならない。 以上の作業により、当初の計画であった①下七垣文化の社会構造の復元、②同時代における相対的位置付け、これら2点について、明らかにすることができた。ただし、歯冠分析を用いた血縁関係を主とする劉荘遺跡の社会構造について、検討が不足する点が残った。しかし、これについては、被葬者の性別や頭位、墓の配列や規模など考古学的属性から、一定程度は補完することができたと考える。 本年度の研究を通じて、3年間の研究成果を総括し、これまで夏王朝とされる二里頭文化の社会構造研究に終始していた初期王朝期の視点に、新たな成果を付加することができた。下七垣文化はのちの殷王朝の文化へとつながる重要な位置づけにある。その社会構造を明らかにしたことで、二里頭文化の独自性を浮き彫りにすることもでき、また殷文化社会の成立過程についても、示すことができたと考える。
|