本年度は、前年度に引き続き、朝鮮半島無文土器時代集落遺跡の基礎データベースを構築しつつ、個々の遺跡に関する情報の整理、気候変動・自然災害に対する人間集団の適応に関するモデル化を行った。対象とした地域は、列島に水稲農耕をもたらした渡来人の故地の一つとみなしうる嶺南地方西部である。まず申請者がこれまで収集した報告書や、所属機関である徳島大学埋蔵文化財調査室が契約を結んでいるデジタルアーカイブ『韓国歴史文化調査資料データベース』(ZININZIN社)から情報を収集し、前年度に構築した土器編年をふまえつつ、遺跡に関する情報を整理した。あわせて、遺跡に残された災害痕跡、とくに洪水痕跡に関する情報を収集した。また、文献史料や遺跡に残された気候変動、自然災害に関する研究成果を収集・整理し、人間集団の環境に対する適応のあり方についてのモデル化を試みた。以上の結果の一部と、これまで研究成果をまとめ、一冊の研究書を刊行した。同書においては、朝鮮半島から日本列島への水稲農耕伝播のメカニズムに関するモデルをあらためて提出した。それは次の通りである。すなわち、730 cal BCごろからの寒冷期の開始と時を同じくして、渡来第1段階が始まった。この寒冷化に遠因する半島南部から列島への人口拡散の結果として、半島・列島間を横断するネットワークが形成された。つづいて、渡来第2段階は600 cal BCごろから始まるが、この段階になると、気候は温暖化し、これにともない洪水リスクが高まった。洪水による農作物の被害や農地の喪失が渡来の要因となった。こうした自然災害を要因とする生産力の低下は、集落内における人口圧の増大を招いた。これに対して無文土器社会は、より積極的に人口の拡散によって解決を図ろうとした。そうした人口拡散の一部が既存のネットワークを介して、列島に渡来した、というものである。
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