本年度は、まず、前年度に行ったヘンリ・ハモンド(空位期のアングリカン)の『キリスト教の合理性Of the Reasonableness of Christian Religion』(1650) の分析をさらに進め、“Reasonableness”の意味内容を明らかにした。ハモンドは、同著作の中で、まず、「証Testimony」の明確さ(直接性)は、理性的な人であれば納得できる(=理にかなった)ものであり、このことがキリスト教の信仰の根拠となると主張した。次に、キリスト教を信仰することによって「利益advantages」が得られるのであれば、当然、信仰することが理にかなっていると主張した。そして、この二つの点から、キリスト教は「理にかなってreasonable」おり、キリスト教(=国教会)を信奉すべきであると結論づける。さらに、後者の議論を行う中で、ハモンドは、キリスト教の実践を重視し、また、その実践の在り方についても、個人の置かれている状況に応じて義務を果たすことを求める。こうした議論は、先行研究でも指摘されているように、ハモンドの(契約神学にもとづく)条件付きの救済論を下地にしていると考えられる。 次に、政治と宗教の関係性を把握するために、『寛容書簡』を中心に、ロックの寛容思想の再検討を行った。先行研究でもたびたび指摘されるが、ロックは、『寛容書簡』の中で、国家と教会の管轄権の区別を説明し、国家が宗教的寛容を認めることによって、政治的服従と宗教的自由が両立可能であること(=宗教的寛容と社会秩序の安定化)を論証する。そして、この議論が、名誉革命期において、国家の〈統合の論理〉として機能しうるとロックが考えていたことを、オランダの神学者フィリップ・ファン・リンボルクとの書簡の分析から具体的に示した。 以上の研究成果について、現在、論文投稿に向けた作業を行っている。
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