本研究は、大都市で誕生し、近代紡績業をけん引していった綿紡績資本が、どのような経営戦略から中京圏へ進出していったのかを明らかにした。その対象となる企業は、鐘淵紡績・三重紡績・日本紡績の3社であった。この3社は、それぞれ独自の経営戦略を基にして、企業合併を進めた。 三重紡績は1914年に大阪紡績と合併して東洋紡績となり、日本紡績は尼崎紡績に合併されたのち大日本紡績へと結実する。つまり、この3社は近代紡績業の主導権を握った「三大紡」にあたる。各紡績資本の経営戦略や規模拡大・合併交渉にはそれぞれ独自の経営戦略が反映されていた。まず東京・神戸を拠点とする鐘淵紡績は、主事業の綿紡績業に加えて、絹糸事業や瓦斯糸事業など多角化を目指して企業合併を推し進めた一方、名古屋を拠点とする三重紡績は経営拡大を図るべく企業合併を進めた。 そして大阪を拠点とする日本紡績は、瓦斯糸事業市場の掌握を図るべく企業合併を進めるという経営戦略をとって、中京圏の中小紡績資本への合併交渉を推し進めたのである。それゆえ、各紡績資本の合併交渉は、条件交渉をめぐって激しい競合関係にあったのであり、決して大規模資本優位で進められたのではなかったのである。
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