日本における人口問題と社会政策をめぐる政策論議を歴史的に関係づけるため、文献資料や審議会の議事録の検討と関係者へのヒヤリングを行った。 戦前日本における人口政策というと「産めよ殖やせよ」の出生促進政策が想起されがちだが、戦前から日本でも母子保健や児童・母性の保護、社会衛生といった優境問題を扱う学説や実践がみられた。人口問題と社会政策はその原点において密接に結びついており、①生存=生活の保障は人口の<量>ではなく<質>の問題との関わりで議論されたこと、②1960年代に人口資質への問題意識を介して人口から社会保障へと問題関心がシフトしたことについて検証した。 本年度は特に、②に力点を置いた。具体的には、1960年代から70年代の人口や社会保障をめぐる厚生行政の動向の把握に力を注いだ。人口食糧問題調査会(1927年設置)を起点とする厚生行政の史的展開のなかに人口と社会保障の関連を見いだすべく、同調査会から財団法人人口問題研究会(1933年設立)、厚生省人口問題研究所(1939年創設)、さらには特殊法人社会保障研究所(1965年創設)の関係者のなかでとりわけ影響力があった永井亨、舘稔、伊部英男、寺尾琢磨らの言説における人口資質への関心と国民の生活や幸福への関心の交錯を描き出した。 永井亨と舘稔が不在となる1970年代以降の動向を、それ以前との連続性のなかでどのように捉えるか、国内的な動向と国際的な動向をどのように関連付けるかという点にも取り組みはじめたところである。
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