計画通り調査が実施できた部分と、キャンセル等により一部実施できなかった調査があったものの、望まない妊娠への女性の感情は、「産む・産まない」の二項対立では決して説明できないことが判明した。確かに、望まない妊娠に対する結果は、産むか産まないかその2択となるものの、そこに至るまでのプロセスや、女性がそのどちらかを決定するかについては、周囲の環境や、宗教、習慣、女性の経済的状態、などが影響していることが垣間見えた。 「今の私だったら産む」という言葉が複数の被害女性から聞き取りができたが、では中絶したにもかかわらず、今なら産む、という考えに至る理由の一つに、胎児(被害女性が使用する言葉は「baby」が多かった)は自分の「分身」、自分の「一部」であるとの認識があり、自分の一部を傷つけるイコール、自分自身を傷つけたことになる、と考える被害女性もいた。被害当時は、胎児の存在がどちらかと言えば、「加害者の一部」であり、「早く消してしまいたい存在」であったものが、時間の経過とともに、「自分自身の一部」という存在に変わることもあることが判明した。 被害女性の中には、後々「子どもに会いたい」「(中絶が)かわいそうなことをした」と、後悔や自責の念を抱くケースがあることが明らかとなったが、このような状態は、セカンドレイプに値するともいえると考える。 以上のような状況が明らかとなったことより、性暴力による妊娠=中絶の単純な図式は結果的に、セカンドレイプ=被害女性の二次被害を招くこともあることより、産むか産まないかの二項対立を超えた、産むといった場合のバリエーションを増やしていくことが、被害者女性のリプロダクティブ・フリーダムの実現につながると、提言できる。
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