3年間の研究期間の3年目にあたる平成29年度は、これまでの成果を踏まえ、解放と教育の関係の編み直しを行った。まず、これまで示唆にとどめていた、ポスト基礎づけ主義との関連からのクリティカル・ペダゴジー解釈を詳細に行った。それにより、ラディカル・デモクラシーの教育理論としてのクリティカル・ペダゴジーが、基礎付け主義を回避しつつも、ヘゲモニーの行使という形で暫定的な基礎づけを行い続けていることを明示した。 さらに、この見立てのもと、29年度はクリティカル・ペダゴジーの美的側面を探究した。探究にあたっては、ジャック・ランシエールとパウロ・フレイレの論を統合しようとするタイソン・ルイスの論を読解し、教育という行為の中に、規範を基礎づける要素(美)と、規範を脱構築しようとする要素(崇高)が潜んでいることを明示した。 研究期間全体を通して描き出されたのは、基礎付けを捨て去ることなく、人々の作為の能力であるエイジェンシーを担保した、解放と教育の関係である。ポスト基礎付け主義的な教育理論としてのクリティカル・ペダゴジーは絶対的な規範に依拠することなく、抑圧状況からの解放を志向する。この際教育者は、フレイレの言う希望を掲げて人々をヘゲモニー闘争に巻き込む中で、信仰によって規範を定立し、戦略によってそれを広める。一連の営みは、ガート・ビースタがランシエールの論に依拠して言うように、知性の平等を損ない、学習者を教育者に従属させることを意味しない。ルイスの論を用いると、クリティカル・ペダゴジーの教育行為には、美的なものという形で、規範の妥当性に揺さぶりをかける要素が常に既に存在している。それゆえ、規範は常に書き換え可能なものとして扱われることになる。本研究では、以上のような形でクリティカル・ペダゴジーを解釈することで、解放と教育の関係を編み直した。
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