最終年度は、戦後教育改革に関与した知識人の一人として、日本側教育家委員会や教育刷新委員会の委員として戦後日本の新しい教育理念の形成に一貫して関わった務台理作に特に着目し、その教育関連著作、書簡、そして教育刷新委員会会議録を主に用いて、戦後教育改革の理念と民族共(協)同体構想との関連について検討を行った。 戦前期における務台は、ファシズムのあとに来る日本国家の在り方を構想しようとしており、その日本国家の在り方とは、普遍(世界)と個体(個人)を媒介するものとしての特殊(民族)という関係を有するものであった。そして務台は、そうした国家の実現には、真の国民文化が不可欠であり、真の国民文化の形成は国民教育の力によって可能として、人間の本性から導かれる目的と、民族(国家)から導かれる目的とを綜合する国民教育を重視していた。1960年代までを含む戦後の務台においても、個人、民族、世界の相互媒介関係によって捉えられる国家観を前提として教育理念を示そうとする思考の枠組が連続していた。一方で、日本国憲法や教育基本法を中心とする戦後改革の成果を踏まえて、個人、民族、世界に新たな意味を付与することを試みていったことを明らかにした。 研究期間全体を通して、戦後教育改革期の教育理念における国家を民族共(協)同体に着目して検討を行ってきた。戦後改革に関与した知識人として南原繁や森戸辰男を中心に、その民族共同体という思考枠組の重要性はいくつかの先行研究において指摘されてきたが、戦後教育改革との関連性については十分に明らかにされていなかった。本研究では、戦後の日本における新たな教育理念の形成に一貫して関与した務台理作の教育理念の内容についての分析を通して、民族共(協)同体を前提とする国家観の思考枠組は、戦後の教育基本法を中心とする教育理念における国家の捉え方と関連付けて捉えられることを実証的に明らかにした。
|