本研究は、実業学校教員検定が制度化された1922年から廃止される1947年までの実態解明、および同検定が制度化に至った経緯とその意義の再検討を通して、戦前日本の工業科教員養成制度における実業学校教員検定が果たした役割について明らかにすることを目的とした。 調査・分析の結果、1924年1月24日に実業学校教員検定が制度化された後、4月18日まで従前の規定による「文部大臣ノ認可シタル者」が存在し続けていた事実が確認できた。換言すれば、実業学校教員検定による教員免許状は、1922年4月19日から交付されるようになり、ここに初めて制度的にも実態としても実業学校教員検定が成立したとみることができることが明らかになった。 このようにして実業学校教員検定が成立すると、実業学校教員検定に先行して実施されていた師範学校中学校高等女学校教員検定のうち農業や商業、簿記の試験検定が実施されなくなったことも判明した。 特に注目すべきは、師範学校中学校高等女学校教員検定が1885~86年にのみ実施した工業を、実業学校教員検定試験は、「工業ノ部」として1922~43年まで一貫して実施し、十全に位置づけ続けたことであった。 そして、同「工業ノ部」は、機械や電気、建築、応用化学、図案等のように、師範学校中学校高等女学校教員検定の工業よりも学科目を細分化して実施された。同様に、農業も耕種や蚕業、畜産、農芸化学、農業経済等、商業と簿記も商事要項や簿記、商業算術、商業英語、珠算等に細分化して実施され、これらの細分化された学科目を担当する試験委員、及び出願者や合格者数の増加の契機となったとみることができた。
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