本研究の成果は、これまで「文検」研究において空白部分であった「図画科」の検討を行い、「文検」研究の進展に寄与したことである。「文検図画科」について、(1)「文検図画科」の制度(2)検定委員(3)試験問題の分析(4)「文検図画科」の受験者像、四つの観点から検討した。 (1)の制度について、法令の変遷による制度変更の過程、免許状取得の枠組み、統計的な特徴を明らかにした。(2)の検定委員は、東京美術学校、東京高等師範学校において図画教員養成に関わっていた人たちが担当していたことを明らかにした。(3)の試験問題について、検定委員と教授要目との関連から分析した。試験問題は、検定委員の交代による内容の変更は見いだせたが委員の専門性に偏らず、教授要目に沿う内容であり、正確にものを描く技術が求められていたことを明らかにした。(4)の受験者像について、受験体験記をもとに修学歴と職歴、志望動機、受験勉強の実際、合格後の進路などを検討した。代表的な受験者像は、絵が好きな師範学校卒業の男性小学校教員で、絵を描く自由を求めて受験を志していた。受験勉強の際に参加した学習サークルの一つ「緑陰社」は、検定委員から直接指導が受けられるというもので、他の学科目では類を見ない形態のものであった。受験者のライフヒストリー研究として、版画家としても著名な大分県師範学校教諭の武藤完一に着目してその足跡を追い、彼にとって「文検図画科」とは何かを検討した。上述のとおり、本研究では制度史的な側面にとどまらず、受験者にも着目したことで社会史的な側面も明らかにしたことも特色である。 本研究の意義は、一つは「文検」研究を進展させ、戦前期中等教員養成制度の全体像の解明に貢献できたこと、いま一つは図画教員の力量形成の過程やキャリアを明らかにしたことで、戦前期の中等図画教育の実態を解明するための知見を提供できたことである。
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