①1900(明治33)年の小学校令改正以前の大阪市において存在した多様な初等教育機関(下々等小学校・小学簡易科)について検討し、それらが果たした積極的役割と意義について検討した。下々等小学校および小学簡易科ともに、貧しい家庭環境を背景として学校へ通学することが困難な子どものために、柔軟な教育課程にて学びの保障をめざした形態であった。大阪の小学簡易科については、使用教材の内容が尋常小学校とほぼ同様のものであったことが今回明らかになっている。そこでこの小学簡易科が尋常小学から分離された「貧民学校」「差別学校」では必ずしもなく、尋常小学校との連続性を有する場であったという視点から、今後さらなる検討が必要である。
②明治期以前から主には尋常小学校とは異なる多様な初等教育機関で取り組まれてきた「教育的対応・配慮」が、尋常小学校への就学が浸透する大正・昭和戦前期においていかにして引き継がれるのかを明らかにするため、とくに大正・昭和戦前期の特別学級史研究に焦点をあてて、その動向と課題を検討した。近年の特別学級史研究では、尋常小学校に在籍する多様な教育的困難(学習困難・貧困・疾病・栄養失調・非行)を有する子どもへの特別な教育的対応・配慮の一環として特別学級が開設されたことが示されるが、大正・昭和戦前期に促進される学校衛生・新教育・職業教育などの初等教育の拡充のなかで「特別学級」の取り組みの変容や「病弱児学級」「弱視・難聴学級」等の特別学級の分化促進の経過とその意義の解明が今後の課題である。
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