社会性昆虫はコロニーと呼ばれる集団を形成し、強固な分業システムを基盤に集団として適応的に振る舞うことができる。分業システムでは集団内のある限られた部位で交わされる局所的な個体間相互作用を介して相手の個体情報を認識し、自身の労働を特殊化させると考えられる。本研究の目的はアリの個体情報を司る炭化水素シグナルおよびその受容体を同定し、さらにはシグナル受容から行動の特殊化へと至る過程で作用する遺伝子群や神経活動を調べることで、社会性昆虫における労働分業の調節機構を明らかにすることである。昨年度は働きアリが従事するタスクの違いによって体表炭化水素の組成比が異なることが確認され、アリが各タスクの匂いを識別していることが示唆された。そこで本年度は炭化水素の識別能力を計測するための行動実験を行うとともに、匂い成分に対する受容器の神経応答を記録する方法の確立を試みた。その結果、働きアリ個体レベルの学習ではいずれの炭化水素に対しても同様の学習効果を示した。一方、個体が学習によって獲得した炭化水素に対する行動は社会的な相互作用を介して他個体へと伝達され、働きアリのグループでは炭化水素の構造によって異なる学習効果を示した。このことから、炭化水素の識別には個体間の相互作用が重要であることが示唆された。匂い受容器における神経応答の記録法に関しては、電気生理装置のセットアップに時間を要したため、炭化水素刺激を用いた具体的な実験は今後の課題となった。
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