1891~1913年の国内の遊戯書におけるバスケットボールの取り扱いを分析した結果、当時は球入れと混同されて多数の子どもを同時に運動(3区画コート内に最大108名)させ、籠・竹竿・毬があれば実施できる手軽な遊戯であることがわかった。大正初期にかけ、小学校向けに様々な教材開発が行われていたことが確認できた。 また、1892~1940年の国際ルールの変遷からタイムアウトの特徴を明らかにした結果、教育的配慮として休息確保のために導入され、これにより公平性と円滑な運営が保障されてゲームが高度化したことがわかった。バスケットボールを史実的変遷から捉え直すことで教育的価値や意義を再確認することができた。
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