東ドイツのポピュラー音楽は、英米や日本をふくむ資本主義国とおなじく、若者文化とふかく結びついていたが、その誕生と変遷には東ドイツ特有の社会・文化的コンテクストがある。本研究の目的は、ジャズやロックを「敵国文化」として規制していた東ドイツが、70年代に国家公認の「東ドイツの」ポピュラー音楽をつくりあげた過程と、そこで生じた「ポピュラー音楽」の文化政策における価値転換の実態を、資料調査とインタビュー調査により明らかにすることにある。本年度は、8月~9月の約1ヶ月間、ベルリンで文化政策とディスコに関連する資料調査を実施した。また、これまでの成果を学術論文として公開し、学会や研究会で発表した。 本研究の主な成果は以下の3点にある。第一に、社会主義に「抵抗したロック」として解釈されてきた東ドイツのポピュラー音楽を、3つの潮流に分類し、ドイツの音楽文化史に位置づけたことである。第二に、東ドイツでポピュラー音楽が誕生した過程には「ドイツ特有の音楽観」と70年代の文化政策が主導した「娯楽芸術Unterhaltungskunst」戦略がかかわっていることを示した。例えば、「ポピュラー音楽」は「娯楽」でなく、東ドイツ独自のジャンル「娯楽芸術」に分類され、社会主義イデオロギーに反しない東ドイツの正統な文化となったのである。こうした結果として、現在の「東ドイツ」アイデンティティを形成するようなポピュラー音楽が誕生した。第三に、東ドイツの特殊性にフォーカスし、全体主義国家の音楽文化の隠された実態を明らかにしてきた従来研究を、東ドイツのポピュラー音楽が媒介する「アイデンティティ」の問題に着目し、再統一後のドイツへと接続する音楽文化として再考した点にある。これらを統合して、本研究では東ドイツのポピュラー音楽を現在のドイツ音楽文化との結節点として解釈し、検討する新たな視座を開拓した。
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