田代三喜の薬物書である能毒書については、これまでに見出していた内藤記念くすり博物館所蔵『当流能毒集』(T0293)のほか杏雨書屋所蔵の『能毒集新撰之方』(乾1801)を見出し報告した。田代三喜の弟子である曲直瀬道三の初期の能毒書には大きく分けて2系統あり、1つは漢文体を基本として記載されるもので、京都大学富士川文庫所蔵『薬性能毒』(イ/216)、杏雨書屋所蔵『薬性能毒』(乾5329)がある。もう1つは漢文体に仮名まじりの記載があるもので、龍谷大学図書館所蔵『能毒』(690.9/431-W)、京都大学富士川文庫所蔵『能毒全并追加』(ノ/5)があり、なかでも内藤記念くすり博物館所蔵『能毒全部』(44365)は、ほとんどの記載で読み下されている。これらの初期の能毒書の成立についておおよその年代を特定し報告した。 田代三喜は生薬の表記について生薬の効能から作字をつくり、表記する文字自体に意味を持たせて生薬の運用に役立てたと考えられる。一方、曲直瀬道三は作字を採用しないが、生薬名の四隅、または中央に薬性を表す色分けした点を打つことにより、生薬の薬性について視覚的な情報を加えており、田代三喜の影響を受けているとみなせる。 曲直瀬道三以後の能毒書における中国医学の影響については、主流本草ともいえる『証類本草』および『本草綱目』の引用について確認できたが、それ以外にも我が国には影響がそれほど見られない中国の本草書の影響も一部に確認することができたため、今後精査ののち報告の予定である。また、曲直瀬道三の治療例を記した『出証配剤』における使用生薬と田代三喜の作字によって示された薬物の効能との関係をみたとき、治療例の生薬に効能の偏りがみられた。薬物理論と実際の臨床での応用例の関係を明らかにするものとして本研究の発展的な研究として継続したい。
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