最終年度の研究において、アジアのタイにおける贖罪思想の社会的影響として人権法制化への運動に注目した。人権理念の成立と法制化の過程にはキリスト教の影響があり、英国と米国において贖罪信仰に基づく信仰復興運動が大きな要因の一つとして作用していた。その影響は日本にも入っており、特に日本国憲法の制定にまで影響していることを実証した。具体的には自由民権運動家を通して日本に入り、それが吉野作造と鈴木安蔵を通して日本国憲法の制定にまで影響していた。最終年度の研究の重要性は、同様の影響がアジアのタイにおいてラーマ五世による勅書『宗教寛容令』の発布という仕方で起きていたことを実証したことである。 1860年代タイ北部チェンマイにおいて、文明開化を目論むチェンマイ国王が信仰復興運動の影響を受けた宣教師McGilvaryをチェンマイに招聘した。ところが日曜礼拝や偶像礼拝を拒むキリスト教は北部の統一秩序を維持していた文化的慣習と衝突した。日曜礼拝遵守では二人のタイ人キリスト者が殉教し、最初のタイ人キリスト者同士の結婚式では君主の許可がおりない事態が生じた。そこでMcGilvaryはバンコク国王に訴え、1878年『宗教寛容令』が発布された。つまりイギリスにおいて信教の自由を求めるピューリタン運動から人権項目が生まれたように、タイにおいても日曜礼拝を遵守した殉教者を通して人権法制化の最初のステップが踏まれていたのである。これに一役買ったMcGilvaryはピューリタン的贖罪信仰を持つ信仰復興運動の影響を受けていた。 この研究成果の報告は2015年中外日報社の『涙骨賞』を受賞し、その一部分を『人権思想とキリスト教』(教文館、2015年)として書籍化した。またタイの『宗教寛容令』の全訳とその研究成果は『贖罪信仰の社会的影響』(編著、2019年、教文館)の中で報告した。
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