本研究の結果、日中の『詩経』図譜の差異が形成された原因は、日本における『詩経』図譜の編纂と名物考証の先鞭をつけたのが本草学者の稲生若水であること、そして彼の影響を受けた本草学者が『詩経』中の動植物の考証に高い関心をもったからだと結論づけられた。これまでの研究では、本草学者が本草学の研究に取り組む状況が取り上げられることはあっても、どのように経書の考証に関与したのかという問題は、ほとんど取り上げられなかった。本研究を通じて、中国から伝わった経書に対して、日本の本草学者が儒学者とは異なる関心をもち、独自の考証を発展させていく経緯の一端が明らかになったと考えられる。
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