これまでコーヘンの哲学は認識論的に理解されてきた。そのためコーへンの無限判断の理論がもつより幅広い含意が見逃されてきた。本研究により、『純粋認識の論理学』で示されたこの論理が、マイモニデス論のなかで、倫理学的含意を帯び、晩年の宗教哲学の発展において重要な意義を担うことが明らかになってきた。 コーヘンによれば、無限判断の歴史において、マイモニデスはこの論理を核に据えた哲学者として評価される。しかし、晩年の宗教哲学へと向かうターニングポイントとなる論文、「マイモニデス倫理の特徴」において哲学者は、無限判断の論理をマイモニデスの倫理的思想の中心にあるものとして論じている。 また、ドイツ・ユダヤ人としてコーヘンが置かれた状況を再構成すると、そのマイモニデス理解が19世紀以降のドイツのユダヤ教学が置かれた状況からくる要請に応えるものであることが了解される。若きシュトラウスは、コーヘンのマイモニデス解釈を、マイモニデス自身が哲学者として置かれた状況を考慮に入れていない点で批判したが、その偏向にはコーヘンが置かれた文脈による必要性があったことになる。むしろこうした倫理学的な解釈が、その後の、ゴルディーンやレヴィナスら、後継のユダヤ系哲学者たちの思想の土台となっていった。 無限判断的論理の受容は、レヴィナスにおいて全体性の哲学としての存在論を越えるという、彼の哲学の根本的動向に見ることができる。当初計画では、無限判断に相当する論理として無限の観念を想定したが、『全体性と無限』に見られるその他の議論(エロス、父子関係など)も同様のものとして扱いうること、コーヘンがゴルディーンを受け継いで素描した、あらたな、開かれた哲学「体系」をこうした議論が具現化していることが明らかになった。
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