本年度の研究経過と研究成果 ・平城宮第一次大極殿は遷都1300年の2010年完成をめざして復元工事が進行しているが、その周辺の復元整備における課題を具体的に取り上げて検討した。これに関係し、中国西安の長安城大明宮含元殿跡の整備や韓国の宮殿の整備状況調査を実施し、韓国ソウルでは宮殿の活用状況の調査も行った。(以下、詳述) ・文化遺産の活用では先進的なイギリスの整備活用調査を行った。 平城官第一次大極殿だけでなく大極殿を含む大極殿院の整備も必要であるが、特にその特徴を示す〓積擁壁の復元が重要である。〓積擁壁は大極殿前面に位置する奈良時代前半の遺構であり、さらにその前面には奈良時代後半の整地土と建物遺構が最大約1.6mの高さで残存する。平城宮跡では遺構保存のための盛土は遺構面+0.8mを原則としているため、〓積擁壁の前面部分には奈良時代後半の整地土遺構が突出することになる。整備手法については三案が考えられる。 (1)原則通りの盛土をし、整地土遺構を突出させ、〓積擁壁を本来位置の上で復元する。 (2)整地土遺構を覆うように盛土し、〓積擁壁を本来位置の上で復元する。 (3)〓積擁壁の位置を整地土遺構を覆う位置まで前進させて復元し、本来的な高さを正しく表示する。 こうした案を評価するには、遺構の位置と形状が正しく示せるか、遺構の特徴である高さが正しく示せるか、遺構本来の機能・景観とその意味が正しく示せるかが基準になる。(1)では、遺構の残存状況の展示にはなるが、厳粛な国家儀礼の空間を表現できない。(1)(2)ともに、平城宮第一次大極殿に大きな影響を与えた唐大明宮含元殿の高い〓積基壇との関係が示せない。そこで以前、設計条件を単純化すれば、(3)が適当としたことがある。理由は、平城宮は「壮麗でなければ帝王の徳が示せない」(『続日本紀』神亀元年(724)11月8日太政官奏上)という考えがあり、国家の威容をみせる装置であったことによる。〓積擁壁の遺構位置の正確な復元・表示よりも、本来的な見え方に近い展示やその意味するところを表現しうる整備案を重視したのである。 〓積擁壁の平面プランを検討した結果、大極殿中心の北側8尺の点を中心に同心3円同心3円(40尺×6、7、8)と、大極殿の北側を中心にした円(40尺×9=360尺)の交点等を用いて〓積擁壁の設計は設計施工されていた。同心3円と1編心円の交わる様はキトラ古墳の石室天井天文図を連想させる。中国古代の文献でも、中国・韓国に現存する宮殿建築についても調査した結果、宮殿は宇宙を象るという設計思想を確認でき、大極殿院は物的な宇宙の構造を象るのである。〓積擁壁を正面から見た高さ表現だけではなく、プランが正しく示せること、宇宙の中心と認識した高御座の位置と形態が正しく示せることも遺構表示の上で重要なことが明らかとなった。先に示した設計案では、(2)の案をベースに〓積擁壁を高くみせる工夫をする必要があることがわかった。 大極殿院南門前で行われた射礼については、韓国の宮殿で行われている守門将交代儀式を参考に、観光的活用をも図る検討をした。
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