昨年度に引き続き指宿市敷領遺跡中敷領地点の発掘を行い、建物跡の全容を明らかにした。建物跡は壁を支える構造として西辺~北辺~東辺にかけて土盛りがあることが他に例を見ない特徴である。床面上から須恵器の蓋と皿がそれぞれ1点出土した。この2点の内、皿には墨書があり、蓋は内面に墨が付着していた。昨年出土した須恵器の皿も、表面の擦痕から転用硯の可能性が高いと考えられたが、これらの資料により、この家の住人が「文字を書く人」であった、と見ることができる。 この建物跡の周りは、これまでに調査した水田や畑のあった地点と異なり、厚く固い紫コラの堆積がなかったことから降下した火山灰を除去する、いわゆる復旧工事がおこなわれていたことを昨年の報告書で指摘した。今年度、直線距離で60mほど離れたところでおこなわれた指宿市教育委員会による発掘調査では規模の小さい建物跡と考えられる遺構を検出したが、この建物跡の周りには紫コラが堆積したままで除去されていなかったことから、なぜ私たちの調査地点においては復旧工事がされてここではなかったのかという疑問が生じたが、出土遺物の状況や建物の構造から、私たちの調査した家の住人は集落の中での特別な立場にいる人の住まいだったので、その家の周りの復旧工事がおこなわれたと推測した。 敷領遺跡では、墨書土器や転用硯の出土や建物跡の配置状況、総柱建物跡の検出などから、官衙的な施設の存在やそれに伴う集落の存在の可能性が考えられてきたが、これまでの発掘調査を通じて、集落の住人の違いをはじめ、水田、畑、集落の当時の土地利用のあり方など、役所を伴う敷領ムラの具体的な姿が垣間見えてきつつある。『鹿児島県指宿市敷領遺跡(中敷領地点)第2次調査』2010.1
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