平成18年度は、フランスバスクにおけるバスク民族スポーツ文化政策の調査・研究である。前年度まではスペイン国内の調査・研究であったが、本年度は今までの協力関係の対象外となることから、2年間に培われたフランスバスクとの良好な人的関係を駆使して実施した。とくに共同研究者のエチェベステ氏や研究協力者のアラストア氏の協力により、広範囲におよぶ調査が実施できた。 フランス有数の観光地であるビアリッツ市のスポーツ課によれば、バスクスポーツ(とくに、ペロタ、レガッダなど)には近代スポーツと同様年度ごとに財政補助は実施しているが、当該スポーツの普及や振興に関しては全く関与しないとのことであった。したがって当該スポーツ関係者の自助努力以外に振興策はないと言う。また、フランスバスク最大都市バイヨンヌ市の観光局長によれば、祭りなどのプログラムとしてバスク民族スポーツはかなり重要であるという。その理由として、バスクイメージを満足させるものとして、舞踊、歌謡、そしてバスク民族スポーツであると明言する。したがって、過度の変容はかえって見世物としての価値が減少し、観光政策としてはマイナスになる。他者(観光客と旅行代理店)が形成したバスク文化の維持が、当該地方の農業と並んで重要な産業と連結している。 振興政策として個人的にバスク民族スポーツクラブを経営している人もいる。これはフランスバスクに統括団体が存在せず、個人活動が成功を納めている事例である。さまざまなイベントを企画し、入場料収入などでクラブ運営をする。それにより民族スポーツである綱引のトレーニングが可能となっている。現在、継承者の育成が急務である。 イカシトラという民族学校はフランスバスクで23校ある。その体育授業の教材としてバスク民族スポーツを提供する組織がある。体育教員への補助が中心的な仕事で、協力依頼があればプログラムを用意する。人員はわずか1名であるが、バスク民族スポーツへの理解と普及を目指した試みが進行しつつある。 以上の状況は、フランス革命以降フランスバスクが中央政府へ要求した自由や平等を追い求めた結果、その代償として自らの文化を省みなくなったことと連動している。つまりフランス中央政府はバスク文化を否定はしなかったが、バスク人自らがフランス文化に傾倒していったのである。ほとんどバスク語が使用されないのも一例である。そしてバスク民族スポーツ文化はさまざまな価値に分有され、変容しつつある。
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