本年度は、所定の計画にしたがい、倉富勇三郎日記大正9年分の翻刻と電子テキスト化作業をおこなった。当初予定していたよりも、翻刻に時間を要することが判明した。これは、日記申分量が多いこと、また解読困難は文字の同定に思いの外、時間をとられるためである。そのために、大正9年分日記のうち、翻刻に着手できたのは、全体の3分の2にとどまった。 翻刻テキストは、plainなテキストファイルまたは、Microsoft Wordのファイル形式で作成し、それをHTML化する段階で、さまざまな付加情報を付け加える必要がある。このコーディング作業にも、思いの外時間を要することが判明した。現在翻刻の済んだ分から、HTML化を進めているが、ようやく半年分がすんだ段階である。できあがった日記は、随時以下のサイトにアップロードしている。 http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/%7Eknagai/kuratomi/kuratomi.html まだ、著作権上の問題がクリアされていないので、上記のサイトにアップロードしたHTML形式の日記は、アクセス制限をおこない、一般に公開するまでにはいたっていないが、しかし、申請があれば、IDとパスワードを交付して閲覧できるようにしている。少数ではあるが、利用の申し込みがなされている。 日記を利用しての1920年代の宮中研究としては、1920年4月と6月におこなわれた皇族の臣籍降下に関する施行準則をめぐる皇族会議の模様が、当該部分の日記の翻刻により明らかになった。また、波多野宮内大臣の辞職の直接の原因が、この皇族会議において準則に対する皇族の反対を押さえることができなかったために、元老山県からその責任を問われたことにあったことも判明した。その過程は日記から明らかにできたが、問題となる準則の法文そのものが日記には記載されておらず、皇族会議に提出された法文の正確なテキストを調査中である。また、皇族経費の負担問題等、準則作成の背景をさらに詳しく調査する必要があり、それをふまえたかたちで、成果を発表したい。 なお、2004年9月20日に韓国の韓国精神文化研究所に招聘され、「倉富勇三郎と植民地朝鮮」と題する研究報告をおこない、倉富日記の資料的有用性とその翻刻作業について講演した。
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