昨年度に引き続き倉富勇三郎日記の大正10年分の翻刻と電子テキスト化の作業をおこなった。翻刻については大正10年分はほぼできあがっているが、校閲が完了していない。いっぽう、HTMLファイル化の作業は大きく遅れており、大正9年分の完成にいたっていない。この作業のおくれは、研究代表者である永井が、他の研究プロジェクト(COEプロジェクト)に参加しており、そのプロジェクトの最終年度であったために、そちらの研究報告を優先しなければいけなかったこと、また永井が著書を平成19年2月に刊行したために、本プロジェクトに全力をそそぐことができなかったためである。 研究成果としては、永井が国際日本文化研究センターでおこなった「倉富勇三郎と植民地朝鮮」と題する研究報告を電子テキスト化し、本プロジェクトのホームページに掲載した。 ひとつは「倉富勇三郎の経歴について(第1版):付倉富勇三郎と日比谷騒擾事件」であり、倉富の伝記的事実について新たな事実の発掘をするとともに、なぜ倉富が1907年に韓国に渡ったのか、そのいきさつについて三谷太一郎の先行研究をさらに発展させる考察をおこなった。 ふたつめは、「倉富勇三郎文書を使った最近の植民地朝鮮関連研究」であり、森山茂徳、李英美、岡本真希子の研究について批判的検討を加えた。とくに、拓務省設置をめぐる内閣と枢密院の対立についての岡本の見解を批判しつつ、この問題に新たな知見をくわえることができた。なお、この論考は国際日本文化研究センターの論集として刊行の予定である(平成20年度刊行予定)。 また、本年度中に現在のプロジェクトに大きな影響を及ぼす新しい事態が生じた。それは倉富勇三郎日記全巻の刊行計画がもちあがったことである。詳細についてはここに書けないが、これにより本プロジェクトを発展的に解消して、倉富日記の本格的な刊行のための研究計画を新たに立てる必要がでてきた。
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