(1)倉富日記の電子テキスト化計画 1919年〜21年の日記は翻刻が終わり、一部を倉富勇三郎日記研究のWebサイトにて限定公開した。また、研究成果報告書に1920年の1月1日から7月9日までの日記翻刻分を印刷掲載した。翻刻した倉富日記は図書として2009年から公刊する予定であり、すでに国書刊行会との間で出版契約が成立している。また、倉富家の御遺族からも承諾をいただいている。これによって、本プロジェクトは、2008年1月に永井を中心に結成された倉富勇三郎日記研究会による日記刊行事業に発展的に解消することになった。 (2)1920年代の皇室・宮中をめぐる諸問題の研究 日記の翻刻とあわせて、1920年代の宮中問題とくに1920年6月の波多野宮相辞任問題を研究する計画だったが、同時進行の倉富勇三郎と植民地朝鮮の研究(国際日本文化研究センター松田利彦准教授主宰の共同研究「日本の朝鮮・台湾支配と植民地官僚」での分担テーマ)に時間をとられ、宮中問題については具体的な成果を発表するまでにいたらなかった。まことに、残念である。研究成果としては、上記共同研究の報告論文「田中義一内閣時の朝鮮総督府官制改定問題と倉富勇三郎」を執筆し、2008年9月に思文閣出版より刊行される松田利彦・やまだあつし編『日本の朝鮮・台湾支配と植民地官僚』に収録された。他に個人研究として1905-06年の倉富日記を分析して日比谷焼打事件裁判をめぐる司法部内の動きをはじめて解明した「日比谷焼打事件と倉富勇三郎」を発表した。
|