日本海中部沿岸域、つまり北陸周辺における古墳の成立過程を明らかにする上で、最重要な前期古墳が富山県氷見市阿尾島田A1号墳(約70mの前方後円墳)であるが、未だ築造時期や首長系譜等については未解明のままである。そこで、その従属墳と考えられる阿尾島田A2号墳を発掘し、並行してA1号墳出土遺物を検討することにより、A1号墳の築造時期や首長系譜を絞り込み、それによって古墳文化の日本海沿いの東進ルートの解明を目指した。 A2号墳は、測量調査および発掘調査により、主丘が約13.0m×11.0mの長方形墳ないし楕円形墳であり、尾根筋上の一辺に突出部が取り付くことが想定された。短小な突出部が付くならば、墳長は約20mの規模と推定され、両墳の関係を知る上で大きな成果と言える。レーダ探査及び発掘により、墳頂部には未盗掘の埋葬施設1基が存在することを確認したが、墓壙上や墳丘裾等からは土器等は検出されず、そのため築造時期を確定することはできなかった。 阿尾島田A1号墳出土遺物の検討では、近畿や関東地方における関連資料の調査・収集を行い、学識経験者などから専門的知識の提供を受けるとともに、富山大学において出土遺物検討会を実施するなど、多くの研究者から伝播経路や築造時期等についての貴重な教示を得た。 これらの結果、阿尾島田A1号墳は、石川県七尾市国分尼塚1号墳と同県鹿西町雨の宮1号墳との間、つまり古墳時代前期中頃(4世紀前半頃)の築造である可能性が高く、副葬品には北部九州や山陰的な要素が見られる一方で、近畿地方の首長墳との共通点がやや希薄である、という見通しが得られた。これらは、次年度以降の研究進展に大きな手がかりとなる成果である。
|