本年度は、北京条約以後の北東アジアの変容と日本の北方世界の関連について次の二つの点が解明できた。第一には、北京条約以後のロシアの沿海州獲得とその植民地化の延長上にサハリン島の植民が位置づけられている点である。これまで、ロシアにおいても日本においても多くの研究が、沿海州の問題とサハリン島問題を別々に論じてきた研究史上の問題を是正する契機を得ることができた。この点はロシア海軍文書館所蔵のプリアムール評議会の議事録から解明することができた。本年度の研究実績の一つである。第二は、ロシアのサハリン島政策について新たな知見を得ることができた。具体的には、明治維新成立後の日本のサハリン島政策に対してロシア政府がサハリン島の南部(クシュンナイ川まで)の日本への割譲を企図していたという点である。これに対しては東シベリア総督コルサコフを中心とする強硬派が強く反対しており、ロシア政府内部にサハリン島政策に関して異なる二つの立場が存在することを解明することができた。さらには、明治維新期における日本の東アジア政策-特に朝鮮政策-が沿海州獲得以後のロシアの南下への対抗という要因に規定されていることを副島卿ならびに外務省の史料から明らかにすることができた。いわゆる征韓論とロシア問題の関係を解明する契機を得ることができた。総じて、アムール問題、サハリン問題、北海道問題、沿海州問題が露清関係の変容という事態の中で、強く関連していることを本年度の研究で確信することができた。
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