本研究の課題は、ロシアの極東経営と日本の北方世界の関係を、露清関係の変容という視点から分析することであった。以下の研究成果を得ることができた。 1.サハリン島をめぐるロシアと日本の対立をロシア海軍文書館所蔵のプリアムール評議会の資料から解明することができた。特に、明治維新後のサハリン島の植民政策が帝政ロシアに大きな脅威を与えていたことを解明した。さらに、日本の植民政策の失敗がロシアのサハリン全島領有の方向性を決定づけたことを明確にすることができた。 2.明治維新期における日本の東アジア政策-特に朝鮮政策-が北京条約によるロシアの清からの沿海州獲得の影響を受けていることを解明した。具体的には明治六年の政変が、在中国ロシア公使ウランガリ-の来日と関連していることを明らかにした。この点は、樺太・千島交換条約を日本が早急に締結する必要がある、と認識する契機になったことも解明できた。 3.帝政ロシアが日本との関係の形成を求める理由としてロシア領アメリカ〔アラスカ〕経営の問題が存在することを解明した。また、帝政ロシアの植民地政策をめぐってアラスカ経営と沿海州経営のどちらを重視するかで、政権内に対立があったことを明らかした。特に、遣日使節のプチャーチン提督と東シベリア総督ムラヴィヨフの対立に留意して分析を行った。 4.日露戦争開戦過程についてロシア国立文書館のラムズドルフ外相の資料を収集して分析を行い、ラムズドルフ外相とアレクセーエフ極東太守の極東政策に関する対立を解明できた。 以上の四点が当該科学研究費によって特に成果をあげることができた点である。
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