平成18年度は(2006年)7月17日から28日にかけて、カナダのバンクーバーUBCのアーカイブにおいて、ケーララ研究者である人類学者カトリーン・ゴフのフィールドノート、新聞の切り抜き、読書ノート、論文の草稿などの資料のうち、ケーララで行った2度のフィールドワーク(1947-49年と1964年)に関係する部分を読んだ。この資料を基に「カトリーン・ゴフの小農と帝国主義」を執筆して『歴史人類』第35号(2007年3月)145-161頁に発表した。 8月1日から9月8日にかけてケーララのパンダラムおよびヌーラナードの近辺に住むクラヴァを対象に、土地争い、葬送儀礼、降霊会に関わるデータ及び、降霊会で語らなかった死者の元妻で、愛人と駆け落ちしたクラヴァの女性のライフヒストリーを収集した。このライフヒストリーを収集する過程で、教育を受けたクラヴァによる降霊会に対する冷ややかな態度について知ることができた。 2005年に引き続いて、降霊会を行うスペシャリストであるプラーティが行った降霊会に二つ参加したが、死者が「跳ねる」ことはなく、降霊会は失敗に終わったことを観察した。死者の家族たちはこの失敗をプラーティのせいにしていたが、プラーティの技術的な能力の問題よりも広い範囲で、降霊会がうまく行かないように影響を及ぼしている社会関係の変化や参加者たちの認知の図式の変化が起こっていると思われる。教育の普及は降霊会の衰退と関係があると思われる。争いごとを解決するに当たってクラヴァの長老の権威が低下していること、死者の直接的な証言よりも、家庭裁判所の調停や弁護士の介入がより重んじられるようになってきたことも降霊会の失敗に寄与しているようである。この問題とも関わる認知の図式の変化をテーマに書いた「インドモダンのアレゴリーと瞑想する卵」をホームページ(http://www.ne.jp/asahi/tirtha/vitu/)で公開した。
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