研究概要 |
本調査では、旧宗仁岬灯台(Kuznetsova,1914)と中知床岬灯台(Aniva,1939)の2灯台について写真撮影ほか現況調査を行った。特に、中知床岬灯台は、戦後日本人が調査に入った最初の機会であり、貴重な現況写真を多数撮影することができた。また旧札塔(Yuzhnoye)所在の同灯台退息所の現況を調査し、4退息所は外壁のみ、無線電信舎ほか3棟については外観からの現存を確認し、設計図の配置と一致することが確認された。 また、旧樺太灯台の建築図書として、海上保安庁第1管区海上保安本部から、中知床岬灯台関連24葉、小能登呂岬灯台関連11葉、愛郎岬灯台12葉、知来岬灯台13葉、西能登呂岬灯台23葉を収集した。 本年度予定の歴史的建造物の実測調査は、受け入れ機関との事前調整に時間がかかり、実測調査実施については17年度に持ち越された。 樺太日日新聞に見られる市街地形成および建築活動に関しては、今年度は明治43年〜昭和5年までを閲覧し、都市の成長と市街地の形成過程に関するもの325件、市街地建築に関するもの114件、建設活動に関するもの540件、その他249件など、およそ1230件の記事を採集した。 樺太開拓史は、明治3年2月創置、同4年8月北海道開拓使樺太支庁と改称し、同8年11月廃止されている。明治初期樺太の建築活動については、北海道立公文書館所蔵の、樺太開拓使書類17件、樺太支庁書類18件の文献題目から、直接関係するものは発見できず、詳細は次年度課題として残された。
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