今年度は、研究の最終年度となり全体のまとめをした。今までの研究成果から、運動技能習得過程に映像メディアを使うことは決してマイナスではないことが明らかになった。しかし、単に映像メディアを駆使し分かりやすい資料を提供しても、それをどう捉えるかという学習者の問題を解決しなければ、役に立つことは難しい。さらに詳しく言えば、動感意識の志向性は物理時空系で展開されているのではないから、動感時空系を無視した科学的分析資料の提供は、逆に運動発生を妨害するものとなる。つまり、「気づかないことを気づかせる」という場合、「気づいてはいけない」動感志向性を触発することにより、動感メロディーが崩壊し運動ができなくなる場合があるのである。従って、発生運動学で明らかにしているように促発分析の4つの能力性を指導者が持ち合わせていなければならないことになる。自然科学的思考により情報量が多いほど選択肢が増え、その結果緻密な判断ができるという理解は、運動発生分析には通用しないのである。物理学など自然科学的研究の最先端を行く研究者達はすでに、自然科学で扱える問題とそうでない問題とを截然と区別しているが、体育・スポーツの世界はまだそこまで研究が進んでいないようである。古くから体育・スポーツの世界にある「運動は自得するものである」という美意識は根強く、指導者は学習者の動感世界への潜入を拒否するのが一般的である。しかし、21世紀になり、すでに自然科学的研究の方向性と人間学的研究の方向性は別の道であることには気づきだしており、それらの研究分野が緊張関係の中で高次の協力がなされることが今後の研究の道であると考える。少なくとも、体育・スポーツの本来的な意味や体育教師の存在意義などは再考に迫られるものと考える。まして、教科としての体育の意味は、健康体力づくりでは授業として取り扱わずにジムに通えばよいし、運動技能習得が我々人間にとってなぜ必要なのかという基本問題の解明が急がれる。学力向上が教育の一面を担っているにもかかわらず、巷間では学力=教育という理解が浸透している現代において、教育という問題を改めて考え直す必要があろう。
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