本年度は最終のまとめの年度ということで、今日の知識からみた微生物の進化、とりわけ歴史的研究の評価についても、その妥当性を考えたく思った。三重大学医学部名誉教授、現中部大学教授の伊藤康彦先生に、個別にご教示をいただく事ができたことは大きな収穫であった。微生物の変化を、それ自体の進化と捉えるべきときと、バクテリオファージによる、いわゆる水平遺伝を考慮すべきときがあるとのご指摘は、重要な盲点をご指摘いただいたもので、大いに感謝している。また19世紀のネーゲリの研究においても、彼の報告を鵜呑みにすべきではなく、微生物の進化の結果と考えるよりは、むしろ実験過程におけるコンタミ(汚染)と考えるべき事例が少なくないことを知る事が出来た。 だから、コッホとコーンが正しく、ネーゲリとブフナーが誤まっていたという単純な図式ではなく、長い目で見れば、やはりコッホとコーンによる種の固定性が足枷となった部分も否定できないのである。 研究も最終段階で見えてきた事は、イギリス1880年代におけるコレラを巡る言説で、イギリスがコッホの唱えるコレラ病原菌説に反対の立場をとったことについて、経済的思惑が絡んだものであることは、すでに筆者が明らかにしていることであるが、それに加え、病気の病原菌説に反対するイギリスの微生物学者にネーゲリに共感するものが少なくなかったという事実は、経済的思惑だけでは説明しきれない部分がある事を示唆するものである。 イギリスにおけるそうした発想の根底には、やはりダーウィンの進化論の知的風土というものを無視できない事を痛感せざるを得ないのである。いささか回り道をしてきた部分があったことは否めないが、最終年度になって、コレラ菌に関連してコッホを論駁しようとした人々のなかに、微生物の進化を考えていた人が少なからず存在したという興味深い事実が見えてきた事は、今後の研究の大きな励みになるものである。
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