入手した明治初期・中期における京都における衛生(医療・保健・福祉)活動に関する一次資料(京都府ならびに中央政府による衛生類とそれに関連する教育類の文書、京都で衛生活動を行ったアメリカン・ボード:AmericanBoard of Commissioners for Foreign Missions、キリスト教団体の派遣による来日外国人医師・看護師による書簡や記録等)によって、次の点が明らかとなった。 (1)京都でみられた公的私的な明治前期の衛生(医療・保健・福祉)活動は救貧的機能を含み、病気に対する治療・看護ならびに疾病予防・健康増進が目的として重視された。 (2)衛生活動は治療的方法とともに健康概念や衛生概念の啓発など教育的側面が重視され、近代的な病気観、健康観が伝播され、その活動が日常生活における食、住、育児などにも向けられたことによって、近代的な生活形成や衛生概念獲得の機能をもった。 (3)キリスト教の来日アメリカ人医師・看護師による衛生活動は、明治日本において医学・医療の近代化の一端を担い、看護・保健活動においてはその専門職化に先鞭をつけ、その職域や職能において近代看護の輪郭を明示した。その一方で、日本政府が制度として構成していく近代医学とは異なり、近代的衛生活動の枠組みに伝統的な心性が織り成され、身体面以上に精神面が重視される全人的ケアの概念や福祉的要素をもち、近代医学のあり方を相対化した。 (4)来日アメリカ人医師・看護師による衛生活動の考え方は、例えば同志社病院の場合、院内だけではなく地域での保健・福祉活動として具現化され、あるいは教育を受けた次世代によって引き継がれて広がり、「もう一つの近代」として仏教活動にも影響を与えた。
|