研究概要 |
琵琶湖,大阪城堀,市街地ため池,大阪湾など水圏の底質に記録された人為的環境汚染の歴史的変遷について重金属元素を汚染マーカーに用いて研究した.底質の採取には何種かの採泥器を用いたが,いずれも直径5-10cm,長さ30-80cm程度のコア試料が得られた.これを深さ方向に適当な厚さに切断し,乾燥した後に所定の方法で分析した.コア試料の堆積年代は^<210>Pb法と^<137>Cs法を併用して評価した.堆積物中の主成分,微量成分21元素はNIST(米国)の環境標準試料を標準に用いる蛍光X線分析法で同時定量した.水銀は加熱気化-原子吸光法で定量した. コア試料の時系列解析から,近畿圏における明治維新以降の重金属汚染の歴史トレンドが明らかになった.大阪城堀や市街地ため池の底質にはその周辺域の局地的な汚染状況が記録されていた.一方,大阪湾ではその集水域である京阪神地区の総体的な汚染トレンドが明らかになった.琵琶湖ではその地理的特徴から,京阪神地区から大気を通して集水域に降下した汚染物質が雨水に運ばれて琵琶湖に流入・蓄積したことが明らかになった. 産業活動で人為的に環境に排出されるクロム,銅,亜鉛,水銀,鉛などの汚染がいずれの底質にも認められた.銅,亜鉛,水銀,鉛は明治維新当初から底質への汚染が始まり,日露戦争が起こる1900年代にその濃度が急増した.第二次大戦後の高度経済成長期に汚染は最も顕著になる.近畿圏におけるこれら重金属汚染のピークは1970年であり,それ以降は濃度が低下して,現在では1930年代とほぼ同程度である.一方,琵琶湖底質では水銀濃度のピークは特異的に1960年に示され,他の重金属元素とは汚染の歴史トレンドが異なっていた.底質中の水銀化学種の検討から,1960年代に琵琶湖底に堆積した水銀の起源は周辺の水田に散布されたイモチ病の特効薬である有機水銀系農薬であると推察された.
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